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1. 私の音楽的生い立ち (ごあいさつに代えて)


 幼少の頃から大学入学まで十数年間ピアノを習っていた。いわゆるクラシック・ピアノだから、現在の音楽嗜好とは全く関係がないような気がする。ピアノを習うことで自然に身についた音楽の基礎というものはあるだろうが、それよりピアノのために、バレーボールのように“指を傷める”活動を禁止されている不自由さの方が大きかった。
  高校時代には、ギターを弾き始め、ニール・ヤングやジェイムズ・テイラーなどの曲を練習していた。その音楽が好きで弾いていたというよりは、“なんとなく弾けそうな気がしたから”、という程度の選択である。とにかく1つ1つ音を辿ってポジションを発見しては喜んでいた。
 一方で、ラジオのFENはよく聴いていて、マヘリア・ジャクソンに惹かれていたが、LPを買う、というようなこともなく、第一、どこで何を買えばいいか、というような発想すらなかった。要するに「音楽が趣味」というレベルですらなかったのである。

 黒人音楽への転機は大学に入って訪れた。ひょんなことから学内のブルース・バンドにピアノ弾きとして参加することになり、じきに歌も歌うことになったのである。
 それまで、そういうジャンルが存在することすら知らないうちに、この道の先輩たちにたくさんテープ(当時は!)を作ってもらって色んな曲を次々と仕込まれた。Barbara Lynn, Irma Thomas, Bettye Swann。この3人が私のルーツであり、永遠のアイドルであり、出発点となった。第2段階として、Etta James, Denise LaSalle, Millie Jackson を歌う“指令”が出て、より濃いソウルへの道が始まった。
 ちなみに、私が最初に人前で歌ったのは、バンド加入2ヶ月後の学園祭の屋外ステージで、Ask Me What You Want (Millie Jackson), Precious Precious (Jackie Moore), I'm Wondering (Stevie Wonder), でした。もちろん私自身が選曲したわけではなく、バンマスからの“課題曲”。

 じきに歌を歌うことがおもしろく、頭の中はそれだけで一杯になり、楽器なんて弾いている場合ではなくなった。それまで習っていたクラシック音楽がグルーヴしない平坦な音楽のように色褪せて見えるようになり、ピアノもやめてしまった。今考えてみると、ピアノもギターも続けていればよかったと思うけれど、後の祭。でもあの時に楽器も続けていたら、ここまで歌を歌い込むことにはならなかったのかもしれない。いずれにしても全部、というのは能力的にみても無理な相談だった。
 大学時代はそんな調子で、とにかくそれまで知らなかった音楽を吸収する時期だった。人前で歌うことはそれほど好きではなく、練習好きだった。我ながら、見かけによらず、きわめて“職人的な”性格である。

 第2の転機はセッション活動を始めることで訪れた。学生時代からずっと「ソウル・バンドの-ボーカル」として歌ってきた私は、それまで“自分のバンドで練習して歌う”やり方しか知らなかった。バンドが解散してそのまま歌をやめそうだった私に、高円寺にあるライブハウスJIROKICHIのマスターが、「JIROKICHIで月1回セッションを組んであげるから、頑張って歌い続けなさい」と言ってくれた。これがその後の音楽活動の軸となった。あの時のジロマスの一言がなければ、私もそこで歌をやめていたと思う。実に危ないところだった。ジロマスには心から感謝している。とはいえ言われた当時は「え〜っ ? 毎月ライヴするの ? ついていけるのかなぁ。」と内心ビビるのみで、こんなことになるとは想像すらしていなかったのだが。

 それまでのバンド方式と違い、当日、譜面を配ってその場のリハーサルのみで曲を仕上げていくセッションには、最初は選曲も含め実に苦労して“討ち死に”したことも数知れず。しかし一方で本当に素晴らしい人たちと出会うことで私の歌はどんどん変わっていった。なにしろ、メンバーはいつも私より年上でキャリアもある“プロの偉い人たち”ばかりである。彼らの音楽についていくのはいつも本当に必死だった(今でもそうかも)けれど、自分の力の200%を要求されるような環境のおかげで成長が早かったような気がする。私が影響を受けた方々についてはまた別の機会に譲るとして、この人たちに出会えたことは私の現在の音楽の大きな財産となっている。

 最近、ようやく自分の歌について考え始めた。なるべくシンプルに自分の歌に向き合いたいと思うようになり、一昨年、昨年とデュオのセットを2つ立ち上げた。ゆくゆくはアカペラでも存在できる歌を目指すとして、今は少なくとももう1人相棒が必要な段階と考えている。

 それと同時に、これからも素晴らしい人たちの素晴らしい音楽にたくさん出会いたい。
 絶対にそうは見えないだろうが、実は、私は内向的で非社交的な性格である。それでも音楽に関わっている時のみ他人と心を開いて触れ合える。
 この世の中で、私が他の人と触れ合って生きていくには歌い続けるしかないのかもしれない、なんて大仰なことを考えている。 (2005.1.17)

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