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10. たつ !


 2006年5月30日。大好きだった音楽仲間、坂本達哉くんが急逝した。享年38歳。
ダウンホームなブルース音楽とB級グルメ、大衆酒場、大衆演芸をこよなく愛し、かつ徹底的にこだわった男、通称、“たつ !”。


Tatsu Sakamoto & THE FLAMES OF RHYTHMの“たつ !”
(2006.4.8@渋谷blue heat)

  たつ!と初めて出会ったのは、2003年の2月、ブライト・ブラウンでのLEODUOの第2回ライブ。
たつ!は、1人でやって来て、常連らしくひょこっとカウンターの端に座って、黙って聴いて黙って帰っていった。
以来、先月5月のライブまで、ほぼ皆勤という熱心さで、たつ !はLEODUOが葛藤しつつ育っていく様子を見守ってくれた。

 初期のLEODUOは、まだ選曲もスタイルも方向性も手探り状態のまま試行錯誤の連続で、こんなドサクサな音楽で、blues出身である相方のアヤマチさんはともかく、soul出身の私が“bluesの巣窟”ブライト・ブラウンで果たして受け入れてもらえるのか、不安に思っていた。ブルース・ファンとおぼしきたつ!が何故毎回来てくれるのか、ありがたく思いつつも、理由がわからないと落ち着かなくて、来てくれるごとに話をしてみようと試みるのだが、何しろ、ヤツは手ごわい人見知り。『…ギター弾いてます。』、『…ブルースの前はソウルも聴いてました。』、『…Motownも好きです。』…など、1回のライブごとに、一言ずつしか反応を引き出せず、謎は深まるばかり。
 そんなことが何回か続いた後、アヤマチさんが、偶然ネット上でLEODUOのライブの感想を書いてくれているたつ!のブログを発見。彼が何者であるかがようやくわかり、しかも、彼が好きなものは“B級で猥雑なモノ”ということを知るにいたって、ようやくLEODUOの何を見に来てくれているのかがわかったような気がして安心したのだった。

 たつ!の定位置は、いつもステージから見えにくい柱の蔭のカウンター席。特に、最初の頃は、聴いてるんだか聴いてないんだか、カウンターにうつむき加減に座っている背中が見えるだけ。でも興味がある曲になると、カウンターからスルッと滑り降りて、柱の横から首を伸ばして見に出てくる、“人に馴れない野生の動物”みたいな、実に反応がわかりやすいヤツだった。私が迂闊にも『エルモアって、何とか歌ってみたいんだよね』とMCでチラッと言った日には(当時、たつ!がこんなにも凄いエルモア狂だとは露知らなかった…)、たつ!が珍しくライブ終了後も遅くまで残ってくれて、初めてゆっくりと話をしたんだった。そして、その後、エルモアを歌ってみた回だけは、客席のド真ん中に座って聴いてくれたっけ。

 口が重いのと、仕事が早朝勤務なため、ライブ後に残って遅くまで話をする機会は、「エルモア事件」以降は、なかなかなかったけれど、文章を書くとなればいつも饒舌で、彼のホームページにライブの感想を書いてくれたり、私のBBSにコメント入れてくれたり、メールをくれたりした。コメントはいつもとても具体的で、リクエストもよくしてくれた。また、アレンジなどで私とアヤマチさんがこっそり企んで密かに笑ってるような細かいことにまで鋭く気づいてくれて『オモシロカッタです。次回が愉しみです。』なんて言ってくれた。ブルース初心者の私のためには、ロバート・ナイトホークのCDをドサッと貸してくれたり、本も紹介してくれた。ブルースについてわからないことがあると、いつもたつ!に聞いた。いつもすぐに返事をくれて、その回答はどれも驚くほど詳しく丁寧で奥深かった。
 たつ!という、静かだけど実に雄弁な「LEODUOウォッチャー」の存在は、毎回、私たちにとって本当に大きな励みとなっていた。

 一方で、たつ!の歌と演奏は、去年のブライト・ブラウン開店7周年記念のイベントの時に初めて聴いた。それまで、ブライト・ブラウンのスケジュール欄で、たしか、火曜日の「坂本たつバンド」から始まって、やがてTATSU SAKAMOTO & THE FLAMES OF RHYTHM (F_O_R)という名前になったのを知っていただけだったのだが、初めて見て、彼が発する音楽に対する“意志”の強烈さにびっくりして、たつ!に対する興味はますます深まった。これを機に、音楽についてやりとりをする機会が急激に増えて、得がたい友だちを得たような気持ちになっていた。「ヲタク」を自認するだけあって、好きなものには頑固でキビシクこだわり、研究熱心で嘘のつけないたつ!の音楽に対する気持ちはいつも完全に信頼できるものだった。その熱意にはいつも頭が下がった。謙虚過ぎて水臭いところがあるのが珠にキズだったけど。

 たつ!との付き合いはまだまだこれから、ずっと続くのだと思っていた。「猥雑・B級嗜好」を合言葉に、対バンで一緒にライブをしようと、たつ!と長岡裕二くんと私の3人で、候補のバーに一緒に偵察に連れて行ってもらったりもした。今年に入ってからは、彼のFlames Of Rhythmの単独ライブも見に行った。さすが、たつ!がやりたいことがよくわかる、良い仲間が集まった良いバンドだと心の底から嬉しく思った。次のセッションの機会には、私のR&B曲の中でも何曲かたつ!にバッキングしてもらいたいと、彼目当ての選曲も始めていた。

 6月1日にたつ!の突然な訃報に接し、私もアヤマチさんもショック状態。何が起こったのか、どうしたら良いのかわからなくて、オロオロして泣き続けるばかりの本当に長い6日間だった。
 でも、3日に予定されていた阿佐ヶ谷チェッカーボードでのF_O_Rのライブがキャンセルされずに、彼の仲間たちによって追悼ライブとして行われ、アヤマチさんと一緒にそれに参加した後はブライト・ブラウンで朝の5時近くまで、その後、お通夜、告別式と、彼を好きだった沢山の人たちと一緒に長い時間を過ごして、たつ ! にまつわる色んな話を聞いて、少しずつ気持ちが救われていった。
 彼は、その日にできるやりたいことはその日のうちに全部やって、これだけの仲間がたくさんいて、結構、幸せだったかもしれない。

 多分、ことあるごとに、まだ彼の姿をあちこちに探してしまうと思う。
 そう簡単にはあきらめきれないので、たつ!がまだそこにいると思うことにする。
 たつ!、ありがとう。短い時間だったけど、たつ!と出会えて本当に良かった。
 これからも頑張るからよろしくね。 (2006.6.6)

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12. たつ!の一周忌


 1年たった今日は雨。
 やっぱり今日は、ぼんやりと彼のことを考えていた。

 普段はなるべく思い出さないようにしているけど、LEODUOで何か新しいことを企むときには、どうしても熱心なLEODUOウォッチャーでいてくれた彼のことを思い出さざるを得ない。これ、喜んでもらえるかなあ、とか、いまだに、たつ!の反応が気になるのだ。
 あの最後に会った5月のライブ、たつ!が後ろの方で初めて踊ってくれてるのを見てちょっと驚いたっけ。ちょうど1年たった今年の5月のライブでは、“新兵器”を見てもらいたかったと強く思った。たつ!には、きっと興味をもってもらえたし、もっと踊ってもらえただろうと思う。

 そして先日27日の一周忌セッション。
 普段、BBのセッションに参加してない私には、どんな形でたつ!が参加していたのか知りようがないけど、つめかけたたくさんの彼の友人たちに混じって、なるべく、たつ!が今まで通り柱の陰とかにいる、と思うことにした。

 ある方から、あの最後の日、たつ!が、何かのCDを持って来ていて、私に聴いてもらいたいと言っていたけど、受け取りましたか、と尋ねられた。初めて聞いた話でちょっとショックだった。何のCDだったのか、結局その日、私はそれを受け取ることができなかった。早朝勤務でいつも早く帰らなくちゃいけない彼が、「次の7月ライブは打ち上げまで参加できる予定なので、その時にゆっくり!」と言って急いで帰っていくのを見送ったのが最後だった。

 彼がいなくなった、というのはまだなかなか口に出しては言えないな。言ったらおしまいな気がする。やっばり、音楽の中に彼がいる、と思うことにして、音楽に集中することにする。

 私が彼に“借りて”歌おうと思ってたエルモアとロバート・ナイトホークの歌がまだそのままだ。
もうちょっとたったら、私の中にいるたつ!の意見を聞きながら取り組んでみようかな。

 もう1年たっちゃったんだね。 (2007.5.30)

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